
引力圏から逃れるために
美術ジャーナリスト 村田 真
リンゴが樹から落ちるのを見て万有引力の法則を発見したというニュートンの逸話は、にわかに信じ
がたいものだった。そのエピソードの真偽を疑ったのではない。物が上から下へ落ちるのは当たり前
の話であって、そこに何らかの力が働いているということが、どうしても理解できなかったのだ。
重力の支配下にありながらこうした力を認めるには、思考だけは引力圏から逃れている必要がある。
ところで人が何かをひらめく時、宇宙線がその人の脳を貫いたのだという説がある。してみればニュ
ートンがリンゴを見た時、たまたま彼の脳を宇宙線が貫通していたのかもしれない。できすぎた話で
はあるが。
作左部もまた宇宙線に脳を貫かれ、重力から逃れようとする作品を発想したのだろうか。彼は石をワ
イヤーで宙づりにしたり、木の枝の上に置く。その石は円形に並べられるので惑星やストーンサーク
ルを想起させずにおかない。さらに彼にはクレーター状のアースワークもあり、宇宙への関心が深い
ことをうかがわせる。こうして作左部の作品は宇宙=無重力をイメージしているかのように見える。
だが、はたしてそうなのだろうか。
作左部の作品で重要な役割を演じているのは言うまでもなく石だが、問題はその石が浮いているとい
うことではない。もしワイヤーや木の枝なしに宙に浮いているのであれば、これは驚くべき作品とい
える。しかしその驚きは手品や超常現象における驚きであって、芸術的感動とは無縁のはずだ。おそ
らく石の存在と同等に、いやそれ以上に重要なのは石を支えているワイヤーや木の枝のほうではない
か。特にワイヤーは石の重量感に比べてほとんどめだたないが、それは、石が宙に浮いているかのよ
うな錯覚をもたらすための黒衣などではない。むしろ、石の重さによってワイヤーの織りなすバラン
スとテンションこそ彼の作品の主眼なのではないか。そうした見方からすれば、石は単なる重石(お
もし)にすぎないとさえいえるのだ。
さて、あらゆる芸術の中でもっとも重力の影響を被る物といえば建築だろう。四角い箱型の近代建築
は別として、たとえば石を天高く積み上げヴォールトやバットレスで自重を支えたゴシック建築など
は、重力という制約が編み出した造形といえる。そのゴシック様式を源泉とするガウディが、重石を
つけたヒモを吊るしてできる放物線を逆転させて設計に採り入れたことはよく知られている。これは
重力の法則に従いつつそれを克服しようとする試みだった。
作左部の作品が美しいのは、彼もまた重力の法則にのっとりながら眼に見えない重力の所在を視覚化
しているからである。宙に浮いた石にばかり眼を奪われていては、思考はいつまでたっても地表の引
力圏から逃れることはできない。